29 September

連載第34回

続く
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22 September

やはり野におけ変死体 連載第33回


 姿らは捜査本部に戻ると、さっそく取調室を使用して達也に尋問するべく彼を案内した。

「母は人から恨まれるような人間じゃありませんよ」

 訊かれる前に、先手を打つように達也が言った。

「怨恨のセンで殺されたんじゃなく、単なる物盗りじゃないんですか」

 達也は興奮していた。母親の死亡が信じられないとか、悲しいとかの感情がとぼしい。法医学教室で遺体を見て来たわりには、母親の〞死?の実感がないようだ。

 こんなものなのかと、姿は達也の表情や挙動を観察した。悲哀の感情はうすいが、おおいに狼狽(ろうばい)はしているようだ。

 とにもかくにも、実母が人から恨まれている人間ではないと、それを警察に強調したがっていた。

「それを明白にするためにも、正直に話してください」

 姿は取調室のドアを開放して、達也を椅子に落ち付けさせた。

「まず、お母さんの交友関係を。特に男性を……」

 姿がそう言ったのには理由がある。

 仮にホテルの部屋が犯行現場としたなら、地下駐車場に死体を運ぶのは男の仕業だ。十階の部屋から人目につかず地下まで降りるには、死体をかつぐ男と、もうひとりの見張りが必要だ。時江は女性のなかでも大柄で皮下脂肪がゆたかだ。体格のいい男が、少なくとも死体遺棄の共犯者にいるはずだ。

 だが、達也は時江にはそんな男はいないと突っぱねた。付き合っている男は今はいなくても昔はいただろうと、姿は問いを重ねた。が、達也はすぐにいませんと答えた。返答が即座に返ってくる男だ。自分の母親が殺されたのだから、もっと真剣に考えてから回答してくれなくては困る。

「もう少し考えてから答えてください。お母さんが宿泊していたホテルに、男性が電話をかけてきているのです」

「電話? それだったら、おふくろが旅行に出掛ける前に、男から電話がありました」

 それは年配の嗄(しゃが)れた声だという。名前は名乗っていない。時江に取り次ぐ前に名前を訊いたら、名乗るほどの者ではないとヘラヘラ笑ったという。今、思い出して、気色悪いというふうな顔を達也はした。

「お母さんには誰からなのか訊きましたか」

「ええ。やっぱ、男関係は心配しますからね。老いてから男に貢(みつ)ぐような恋愛をされちゃあ、たまりません」

 自分の母親に対してずいぶんな言い方だなと、姿は感じた。

「それで、お母さんはなんと答えましたか」

「昔、面倒を見てやった男だとしか答えなくて」

「ほら、いたじゃないか」と、姿は腹の中で文句をつけた。

 昔、面倒を見た男に心当たりはあるのか、腹の内の感情はおくびにも出さず、姿はやわらかく尋ねた。対し、ありませんと、達也はそっけない。達也はどうも考えずにすぐ答えてしまう。少しは思い出す仕草をしてから答えろと言いたくなる。

「電話番号を知っていたくらいだから、お母さんにとっては身近な人だったと思いますが、親戚の方ではないのですか」

続く



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15 September

やはり野におけ変死体 連載第32回


 姿は説教を聞きながら、解剖報告書の胃の内容物の欄を読み返した。そして、右脳のはじける感触をえた。

「教授、私は法医学を信用しています。そしてまた、善意な市民の供述も同じくらいに信じています」

 姿の明るい声に、教授は眼をぱちくりした。

 ところへ、野田がやって来た。時江の息子の達也が奈良に到着して、母親に会わせろと言うので案内したという。

「ぼくの承諾もなく、勝手に解剖して、どういうつもりなんですか、警察は」

 姿や教授への挨拶もしないで、達也はいきなり文句をつけた。

「事情を説明して、司法解剖にまわしたと話したんですが」と、野田は弁解した。

「あんたが責任者ですか。妻がどう言ったかは知りませんけどね、実の息子のぼくの許可もなく解剖して、職権濫用なんじゃありませんか」

 唾(つば)を飛ばすような勢いだった。

 姿が法医学教授を振り返ると、老教授は肩をすくめて見せた。

 達也は誤解しているか、さもなくば無知である。が、あからさまにそうも言えないので、姿はとりあえず落ち着かせた。

「司法解剖は遺族の許可を必要としないのです」

「だからって、ぼくが来る前にやることないでしょう」

「時間を延(の)ばせば、それだけ、死亡推定時刻の割りだしが難しくなるのですよ」

「だったら、電話でもなんでもかけて、事前にぼくに連絡してくださいよ」

「連絡をしたから、あなたの奥さんがお嬢さんを連れて昨日いらしたのではありませんか」

「妻にじゃなく、ぼくに連絡をくれと言ってるんです」

 見かねてか、教授が姿に助け船を出した。

「遺体安置室にご案内しましょう。それが本来の目的でしょうから」

 老練な教授は、まだ文句が言いたりなさそうな達也の背中を叩いてうながした。

「何です、あれは」と、姿は野田に訊いた。

「たまには威張りたいんじゃないんですか。職場では上司やお客にペコペコ、家では母親にペコペコなんでしょう」

「ほうっ、見て来たようなことを言いますね」

「たいがいの男はそうですよ。デパートで店員相手に威張っているオジサンがいますけどね、これが見事に共通して貫禄がない人です。どこかで誰かを怒鳴ってやらないと、ストレス解消ができないという哀れな人種です。男の警部補のほうが、その心理がよく理解できるかと思いましたが」

「とんでもありません。私は内弁慶ですからね、他人を怒鳴れません」

「内弁慶って、警部補は一人暮らしじゃありませんか」

 かつがれたのに気づいて、野田は笑った。

続く







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08 September

やはり野におけ変死体 連載第31回


 死亡時刻の推定には、胃の内容物も大事な要素になっている。

 岡谷時江の胃を解剖で切開したところ、一時間と経っていないような、未消化の食物があった。胃の内容物は、海老・烏賊・椎茸・茄子・獅子唐・てんぷらの衣・白米・味噌・豆腐・大根・お茶などだ。

 胃での消化の進み具合から、食後約四十分から一時間で、被害者が死亡したと推量される。ちゃんとした食事ならば、十分はかけて食べるのだから、幅があって当然だ。

「食品によって消化の進行度が異なるから、一つひとつの消化時間を算出してもいいのだがね。この中では消化が速い豆腐を基準にしてみても、胃の活動が停止したのは、胃に入ってから一時間は経っていないだろうね」

「内容物がはっきりしていますね。てんぷらの衣とまで判りましたか」

「そりゃ、あんた、消化されていないからね。厳密に言うと消化は小腸の働きで、胃ではその準備をするにすぎない。胃酸と混ぜて食物をくだく程度だね」

「食物の原形がある程度残っていたのですか? 気持ち悪くなりませんか」

 頭頂部がテカテカ光っている法医学教授は、愉快そうに笑った。姿の質問が児戯(じぎ)に等しかったらしい。

 ともあれ、食事をした時間から起算すれば、時江の死亡時刻が具体化する。

 ホテルの和風レストラン『華まつり』で、時江はてんぷら定食の〞梅?を注文している。だいたいの食事時間を店員の鈴木が覚えている。

 午後七時二十分頃に、時江は店に現われている。献立表を眺めて注文して、料理が来るのを待って、食べ始めるのが、七時四十分と見る。食事が終わったのが、その十五分後という目安になるだろう。レジでチェックアウトの際にまとめて払うように伝票を起こしたのは、八時頃だったのだから。

 ホテルのレストランが利用されていたのは幸いだった。時江が外で夕食をとっていたら、その店を捜し出すのがひと苦労だからだ。

 この計算でいくと、死亡推定時刻は幅を持たせても四月九日午後八時三十分から九時のあいだとなる。これだけ死亡推定時刻が狭められたのも、食後から死亡までの時間が極端に短いからだ。食べた物が胃を通り越して小腸に進んでいたら、未消化物から死亡時刻を推定するのは、困難である。

 しかし、ここで重大な問題が浮上した。

 死後硬直や死斑の分析からはじき出した死亡推定時刻が、胃の内容物から割りだした死亡推定時刻と一致しないのだ。前者のほうが、二時間も早くなる。

 司法解剖報告は無機質的に事実をしたためている。人が矛盾に思おうが、生体学の論理に合わなかろうが、事実を記すのみである。科学分析だから、胃の未消化物による死後何分かの数字は動かせない。

「法医学を信用するか、人間の証言を信用するか、その選択はあんたの自由だがね、個人意見を言わせてもらえば、食事した時間に勘違いがあるんじゃないのかね」

「ホテルの従業員の供述に思い違いがあると?」

「あるかないかを調べるのは、あんたたちの職務だ。だが、儂も伊達(だて)に三十年、法医学をやってきてはおらん。意地やプライドで申し上げているのではないぞ」

続く



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01 September

やはり野におけ変死体 連載第30回

 姿の疑惑はそこに集中した。単独行動をとっている時間帯に、何かが彼女の身に起こったのは、確定的なことなのだ。時江の足取りを明白にするためにも、京都府警に協力を求めて、聞込み範囲を拡げねばならない。


 午後になって、医大の法医学教授から、詳細な解剖報告が完成したから取りに来いという報せが来た。姿はみずから法医学教室を訪ねた。

 死体が発見された四月十日のうちに、おおよその死亡推定時刻が検死官から伝えられていた。

 死体発見が早いほど、死亡推定時刻は割りだしやすいと言われている。だが、死体というものは、その人の年齢や健康状態、死体の置かれた環境によって、時江のように一日と経たない死体でも、一時間や二時間は簡単に誤差が生じる。

 死体硬直の度合いから割りだす死亡推定時刻は、およそ九日午後五時から七時の間である。老人の関節部の硬直は、若い人より速く進行するというのをふまえての事だ。

 この死亡時間を裏付けるのに役立っているのが、死斑である。一般に死斑は、死後二、三時間経過すると見えはじめる。

 仰向けの死体なら、背中の中央や臀部(でんぶ)に体重がかかって床面に圧迫されるので、その部分の血管は潰れて血液が流れ込まない。だから、圧迫部分の周囲に血液が下垂して、暗赤色が皮膚に透けて見えるようになる。つまり、これが死斑である。

 十時間以内に死体を動かすと、血液は新たに重力のかかるほうへ移動するため、死斑の位置も変わる。たとえば仰向けの死体を俯せにすれば、背中や臀部の死斑ではなく、胸や腹にそれが生じるというわけだ。

 これが、十時間も経っていると死斑はある程度移動するが、元のところに薄い死斑を残す。つまり、別々の体の部分に重力が働いて、二方面に死斑ができる。そして、二十時間を経過すると、どう死体を動かしても、血液が固定して死斑は移動しない。

 そこで、時江の死体についてだ。死体が動かされていることが、死斑の移動で明瞭になっている。時江は発見されたとき、仰向けだった。

 死亡した時からずっと仰向けならば、死斑は背面に集中してあるはずだ。だが、実際には、体右側にも薄く死斑が出ていた。比較的はっきり見えるのは右腕と右脚の外側だった。他にも左手の指、左膝と左足の内側にも狭い範囲で死斑があった。

 つまり、絶命してからは体の右側を下にして横たわっていたと思われる。

 横向きでは、人間は体を真っすぐに伸ばして寝ることはできない。少し屈(かが)みこんだ姿勢が自然だ。そういう状態での死斑と一致するのだ。解剖報告書にはそのイラストも描かれてあった。

 法医学教授は親切にも、自分をモデルにして死体の形を絨毯(じゅうたん)の上で再現してくれた。横向きに寝たさいに楽に安定する形だ。倒れてうつ伏せになるのを、左手と左膝が支える格好だ。

 分析の結果、死後八時間内外は右向きに寝た状態で、それから仰向けに寝かして、五時間以上は経過していると推量されるというのだ。

 無論、死体には個人差がある。データ通りにはいかない。しかし、この際、その基本に頼って類推するしかない。それでいくと、時江が死亡したのが、九日の午後五時から七時くらいの間になるのだ。つまり、死後硬直で割りだしたのと同じ時間帯になる。これは信用できるデータだ。

続く







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25 August

やはり野におけ変死体 連載第29回

「ええ。聾唖者(ろうあしゃ)のお客様もいらっしゃいますからね。そのために客室カードが重宝しているわけで。高齢者だと、番号を忘れますしね」

「岡谷さんが着ていた着物を覚えていますか」

「ええ。白地に紅葉柄の訪問着でしょう? 後ろ姿を見送ってますから覚えていますよ。裾のほうに柄がかたまっていて、グレーの鳥が数羽。小豆色(あずきいろ)の袋帯をお太鼓に結んで、手毬(てまり)の刺繍(ししゅう)が金銀にドーンと」

 篠原は頼もしい記憶力の持ち主だが、ネは陽気らしい。

「ずいぶん詳しく覚えているものですねえ」

 姿は感心をよそおって探りを入れた。供述が詳しすぎると、かえって創り話ではないかと疑ってしまうのが、刑事のせつない本能である。

 姿の気持ちもなんのそのと、篠原は快活に笑った。

「僕なんかまだまだヒヨッコですよ。ドアマンの田中さんなんか、五十歳にして二百人の顔と名前を記憶していますよ」

 ほっとくと、篠原は事件と関係ない話をしそうだった。脇坂がもぎ取るというような感じで、電話を代わった。

 篠原の話は鈴木の供述と一致している。宝石の指輪をはめた老女の手を持つ女は、素顔をホテルマンに堂々と見せている。指輪をはめない若い女性の手を持つ女は、サングラスをかけて手袋をはめている。

 梶本と布川が接した時江と、篠原と鈴木が応対した時江は、なんだか別人のように思える。素顔を隠したのが反証になっているとも言える。

 仮に別人と設定した場合、どちらが本物の時江かと問われれば、梶本・布川組の接した時江だと答えることになる。同窓会以前から偽者だったというのは、事実に無理がある。

 一〇三〇号室に残されたルームキーのみが指紋を拭き取られた理由はなにか。若い手の女は指紋を付けないように、最初から手袋をはめていた。客室カードから採取された指紋は時江のとフロントの布川のもので、こちらは拭き取られていない。

 しかし、別人とするにも、それなりに障害がある。ホテルに午後七時すぎに帰って来た時江は、紛れもなく出掛けるときに着ていた訪問着を着ていたのだ。

 スーツなら似通った物は多いから、入れ代わり立ち代わりしたフロント係も、同一のスーツだとは断言できない。しかし、世にふたつとない加賀友禅の訪問着では、目撃者が違う人でも、同一の着物と判定はできる。

 明日香のレンゲ畑で発見された時江は、長襦袢姿だった。死ぬ前に時江が外で着物を脱ぐとは考えにくい。着替えを持ち歩いてはいないのだから。盗まれたとすれば、追剥(おいは)ぎにあったか、殺された後に剥ぎ盗られたのだろう。

 着物を盗んだ人物が、時江になりすましてホテルに現れたのだろうか。何のために? そのときには、時江はすでに殺されていたのだろうか、それともまだどこかで生きていたのだろうか。これは解剖で死亡推定時刻が割り出されないと、ラチのあかない問題だった。

 同窓会の後にカラオケボックスに行った時江は、それもお開きになると単独で別の場所に出かけている。そこまでは本物の時江だ。同窓生の眼を誤魔化せられるものではない。あれから、時江はどこへ何しに行ったのだろうか。

続く
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18 August

やはり野におけ変死体 連載第28回


 澄子は姿が尋ねないことも積極的に話しはじめた。

 クラブの女が野村を鼻であしらって浮気騒ぎが鎮(しず)まったと思ったら、今度はギャンブルにのめり込むようになってしまった。それがたたって、一昨年の三月にリストラで会社を解雇された。

 今年で四十六歳になるというのに、いまだに定職に就(つ)いていない。別れた妻への慰謝料もローンにして、それが払いきっていない。貯金を使いはたしたのか、時江に金を融通してもらっていたみたいだという。

 詳しく知りすぎていないかと、姿は猜疑心ばかり膨張する。それでも、野村浩介なる人物が怪しいのは動かせない。

「その他にはいませんか」

「そうですねえ」と、澄子は天井を見あげて考え込んだ。

「喧嘩口論程度でもいいのですが」

「それでしたら、義理の姉の珠実さんがいます」

「嫁姑の喧嘩を目撃したのですか」

「ええ。いつだったか、遊びに行ったときに。母が贅沢(ぜいたく)をしているのに、義姉はわたしと一緒で質素なんです。独身時代に買ったアクセサリーを今も使っていて」

 澄子は実の母より珠実に肩入れしているような口振りだ。

「あなたのご主人は時江さんとうまくいっていたのですか。義理の母になるわけですが」

「今度は主人が怪しいとでも、言うんですか」

 澄子の冷静さに亀裂が入った。

「三木家は時江さんに借金されていたのでしょう?」

 澄子は瞠目した。

「それで、返せないから殺したとでも言うんですか、ひどい」

 澄子は声をあげて泣きだした。野田が姿を非難の眼でにらんだ。姿は頭を掻(か)いて、事情聴取を打ち切った。

 澄子の事情聴取を中断して、捜査本部に姿が戻ると、頃合よく脇坂から連絡が入った。

 篠原は午前九時まで寝ていて、それからバイキングの朝食を取りに行ったので、事情聴取の開始が遅れたと、脇坂はまたもや愚痴(ぐち)った。

 報告は要約するとこうなる。

 時江が外から戻ってフロントに現われたときは、午後七時十分を回っていた。食事交替の時間になってもパートナーが遅刻していたので覚えていた。篠原の記憶では、ようすが変だった。サングラスをはずさないで一言も喋(しゃべ)らなかった。

 ルームキーを受け取る時は客室カードを提示している。レースの白い手袋をしており、ルームキーは右手で受け取った。その右手は指輪をしていなかった。左手は見ていない。

「右手は若く見えた手ですか」

「ああ、ちょっと待ってください、本人と替わります」

 受話器から衣擦(きぬず)れの音が聞こえて、まもなくハスキーボイスがもしもしと言った。

「その人と初対面ですから、比較のしようがないのですけど、挙動が年配っぽいのに、レース越しに見た手は雰囲気が若そうでした」

「ひとことも喋らなかったのですか」

続く
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11 August

やはり野におけ変死体 連載第27回


「どうして断言できますの?」

「その前後の列車は東京まで行きません。千葉止まりです。あなたは千葉で乗り継いだのですか」

 澄子の返答が喉(のど)につっかえている。

「ああ、そうだったのですか。わたし、東京へはあまり利用しないので。いつも千葉の手前で降りるものだから。だって、電車の行き先なんて平素、注意して見ていませんでしょう? 来る電車に乗ればいいって、主婦ってそんなものですわ」

 愚鈍な主婦をよそおうつもりの愛想笑いを、澄子は堂々と見せた。その白々しさや饒舌(じょうぜつ)がかえって不審感をまねくものだとは、澄子は気づいていない。

「よく乗れましたね」

 澄子は眼をまたたかせて怪訝(けげん)を表現した。

「よくその時間に乗れましたねと、感心しているのです」

 姿は澄子の眼を凝視して言った。

「ああ、それなら、自分でも不思議です」

 擦り切れた言い回しをもってすれば、魔法使いでもあるまいし、だ。

 澄子はあらかじめ旅行の用意を完了させていたのに相違ない。のみならず、リハーサルをして乗車料金も調べ、釣り銭がいらないように準備していたのに決まっている。そうでなくては、四月十一日の夜七時四十分に高市署に現われるのは不可能に近いだからだ。

 そうだとして、なぜ、澄子はそれを隠すのか。なぜ、そんなに速く捜査本部に到着しなければならなかったのか。なぜ、翌日ではなくその日のうちに姿を訪ねて来たのか。

 しかしと、姿は思い直す。

 澄子は被害者の遺族であって、嫌疑者でも参考人でもない。自分はどうしてこんなことを気にしているのか。考える必要のないことと片付けようとすると、大脳細胞の据わりがどうにもよくない。

 野田に注意されて、姿は我に返った。肝心の質問をまだしていない。

「娘さんから見て、お母さんを恨んでいそうな人はおりますか」

「いえ、見当もつきません」

 取りつく島もないような否定だった。

 澄子は結婚をされる前は時江と同居していた。その頃でもいいからトラブルを起こしていないかとの質問に、詳しくは知らないがと前置きして供述した。従兄(いとこ)の野村浩介という人が時江にずいぶんと借金をしていたようだ、と。

 野村は時江から見ると義理の姉の息子になる。東京に住み、時江の家には電車一本で行けるとかで頼りにしていたみたいだという。

 野村の実家は神戸にある。就職も大阪に本社がある商事会社に入って、数年後に東京支社に転勤になった。それから、取引先の女子社員と親しくなって東京で式を挙げた。

 しかし、浮気が原因で十年ほど前に離婚している。クラブの若い娘に入れあげていたとかで、妻は家裁に訴えた。それで今も、高校一年の女児と中学二年の男児の養育費を月々払っているそうだ。

続く



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04 August

やはり野におけ変死体 連載第26回


 澄子は緩慢な動作で、冷えたお茶を飲んだ。

 五年前の二月、登山が趣味の義兄は冬の八ケ岳に登って遭難したと、澄子は語った。救助隊の派遣やらヘリを飛ばすやらで、相当な費用がかかった。先刻は「ちょっと」と言いながら、じつは庶民にとってはショックを受けるほどの捜索費用がかかっている。それでも、「ちょっと」と言ってしまうのは、他人に知られたくないという心理の発露なのだろう。

 昨日の事情聴取で、珠実はなにも言っていなかった。それは、姿がそれに関わることを質問しなかったから、言うまでもなかったのかもしれない。

 澄子のあとで、また珠実から話を聞く予定になっている。落ち着いた今日に思い出したことがあるかもしれないからだ。

「お義兄さんは、おひとりで登られたのですか」

「いえ、パーティは組んでいたのですけど……。あの、これで勘弁してもらえませんか」

「ええ。ただ、口止めされていたというのが、いささか気になりましたがね」

「借金なんて威張れたものではないでしょう」

 そりゃそうだがと、姿は思うが、すっきりしない。

「こっち方面は初めてですか」

「京都・奈良は中学校の修学旅行以来です」

 昨日、珠実も似たようなことを言っていた。

 観光旅行なら下調べをしてあるから、京都駅でJR奈良線に乗り換えるより、近鉄京都線に乗り換えるほうが、料金安くはやく奈良に到着できるということは承知しているだろう。

 だが、珠実は京都駅と乗換えの西大寺駅でまごついたらしく、家を出た時間から、姿が頭の中で計算した所要時間より三十分ほどオーバーしていた。慣れない土地への旅行とはこんなものだろう。まして、珠実は幼女を連れている。駅でトイレを探すのもひと苦労だ。

 ひとりで身軽とはいえ、やはり澄子は旅行の達人でなければ、昨夕、あの時間に高市署に顔を見せることは不可能と思われる。

 だが、澄子は中学校の修学旅行以来だと答えた。団体行動の修学旅行では生徒が切符など買うはずもない。澄子にとっては初めての個人旅行になる理屈だ。

「列車には乗り慣れていらっしゃるのですね」

 意地悪な気持ちを胸底に秘めて、姿はさりげなく訊いた。

「いえ、べつに。どうしてですか」

「木更津から明日香へ来る最短のコースを考えたのですよ。あなた、それを辿(たど)っていらっしゃいます」

「そうなんですか? 偶然ですわ」

 身内の話をした時とちがって、澄子には精神的余裕がある口調になった。

「あなた、木更津を何時の内房線に乗ったのですか」

「覚えていませんわ、気が動転していましたので。二時にはなっていなかったと思いますけど」

「なら、私が教えてあげましょう。あなたが乗った内房線は木更津発十三時三十八分、東京行きです」

続く



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28 July

やはり野におけ変死体 連載第25回


 三木澄子が律儀に午前九時に捜査本部に現われた。昨日とは違うブラウスを着ていた。

 姿は取調室のひとつを開放して、澄子をみちびいた。野田にお茶を淹(い)れさせた後、その場に留まらせた。

「あなたは平素、お母さんの所とは行き来がないそうですが」

 遠いからと、言葉少なに澄子は答えた。口が重そうなので、姿は無関係な話題を出して寛(くつろ)がせようと試みた。例えば夫の話とか。

 夫の友作とは恋愛結婚だった。友作は車のセールスをしていて、出会った頃は浦和営業所に勤務していた。澄子は証券会社のOLで、お互いの職場が近かった。同じレストランで昼食を取ったのが、出会いのきっかけだった。澄子は自分の車を購入するのに、よく相談にのってもらった。

 澄子は車が好きだという。実家にいる頃は、よく秩父の札所巡りをしたそうだ。

 野田が道草をくわないで肝心な尋問をしろと、婉曲に姿を注意した。

 夫の友作の転勤は二年前で、それ以前は与野に住んでいた。友作の両親と同居しており、結婚して六年になる。子供はまだいない。が、姑とは仲が良い。子供ができなくても、こればっかりは神様からの授かりものだからと、責めることはないという。

 歯の浮くような慰め方でも、澄子には有り難かったのだろうか。白々しさは感じられず、義母に対して好感を抱いているような、素直な笑顔を見せた。

 転勤して木更津へ引っ越した。両親も一緒に転居してともに暮らしている。その際に与野の自宅を処分したという。

「ちょっと、借金を作ってしまいましたので」

 澄子の述懐がにぶりはじめる。澄子の表情が言いたくないと言っている。そういう点こそは、刑事は知りたい。

「お義父さんが事業に失敗されたとか?」

「いえ、違います」と、その否定の口調は強かった。

「そんなこと、事件と関係あるんですか」

 澄子の感情に変化が現われるのを待っていた姿だ。

「あるかどうか判(わか)らないことも調べるのが、われわれの仕事です」

 などと、ドラマで使い古された台詞(せりふ)を、姿は言ってみた。使い減りのした言葉でも、澄子には反論の余地をあたえなかったとみえて、彼女はしんみりと俯(うつむ)いた。

「話したくないんですけど、口止めされてまして」

「たとえばですよ、その借金を親戚筋のあなたのお母さんに申し込んで、断られた腹いせに何かする、というストーリーも成立するかもしれないと考える訳ですよ」

「そんな、無茶苦茶ですわ」

 澄子は顔をあげて姿をにらんだ。

「たとえ話ですよ。でも、近かったのですか、怒ったところから察するに」

 姿はとぼけた口調で訊いた。

 澄子は迷っているふうで、視線を机のお茶に据えている。

「主人にはふたつ違いの兄がおりました。郵便局員だったのですけど、私と主人が結婚した時は、まだ独身でした。心に決めた人がいるような話は、義母から聞いていましたけど、結婚する前に亡くなりました」

続く



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